境内の神社

摂社 東照宮

  • 例祭日

    4月17日

  • 御祭神

    徳川家康公

東照宮

浜松八幡宮と縁深い徳川家康公をお祀りするお社として、正徳4年(1714)に奉斎されました。
浜松八幡宮の例大祭では東照宮前庭において特殊神事「放生会」が行われます。

  • 東照宮 放生会

    放生会は捕らわれた動物(鳥・魚)を川や野に解放し、日々の殺生を戒める儀式を言います。
    浜松八幡宮の放生会は戦乱の世に命を落とした人々の御霊を慰めるために、家康公の願いによって始められたと伝わります。

末社 浜松稲荷神社

  • 例祭日

    2月11日

  • 御祭神

    倉稲魂命 (ウカノミタマノミコト)
    大己貴命 (オオナムチノミコト)
    大田命 (オオタノミコト)
    大宮比賣命 (オオミヤヒメノミコト)
    月夜見命 (ツキヨミノミコト)

古くから浜松八幡宮の境内末社としてお祀りされていたと伝わります。

東海道浜松宿の人々の厚い信仰をあつめ、明治大正期には一時現在の中区早馬町にお祀りされていました。

昭和4年8月13日 早馬町より再び八幡宮境内へ遷座され現在に至ります。

商売繁盛、事業繁栄、家内安全の神徳を持つ神として信仰され、例祭日には氏子崇敬者によって賑やかなお祭が行われています。

浜松稲荷神社
  • 浜松稲荷神社 鳥居

    参道にはご神徳を慕う方々より奉納された朱の鳥居と幟が連なります。
    祈願成就幟の奉納は社務所にて受け付けております。

境内の史跡

濵松名稱起源颯々之松
ざざんざの松

伝承では天慶元年(938)、八幡宮が現在の宮地に遷座した際、白狐が松の苗木を携えてこの地に導いたと伝わり、移し植えたその松が繁茂し颯々の松になったといいます。
松の木を浜から持ってきたので「浜の松」が転じて里の名を「浜松」とし、浜松の名称の起源になったと伝えられています。

また、永享4年(1432)に室町六代将軍足利義教公が富士山を見ようと下向の折、この松の下で宴を開き「浜松の音はざざんざ」(ざざんざは松が風に吹かれる音)と謡い、以後この松を「颯々の松」と呼ぶようになったとの伝承もあります。

「曳馬拾遺」に 颯々の松とは野口村の森をいう とあり、一本の松ではなく三十本余りの松が群生していたと記されています。
この松林の場所は当宮から東へ約百メートル離れた八幡宮の飛び社領地(現在の中区野口町)となっていましたが、そこに「濵松名稱起源颯々之松」の記念碑が建てらました。

大正の頃には15〜16本の松が残されていましたが、昭和20年の空襲で全て焼けてしまい、その後、再び松が植えられました。

平成19年に石碑は野口公園に移されましたが、元来「颯々の松」は当宮遷座の由緒と関わりがあり、かつて社領地であったことから、平成23年3月に境内に移され、5代目の松が植栽されました。

松島十湖の句碑

松島十湖の句碑

明治大正期に「今芭蕉」と讃えられた浜松の俳人、松島十湖の句を刻みます。
浜松城を指す「出世城」という名称はこの句から起こったと言われます。

十湖生前の大正13年(1924)、浜松俳壇によって建立されました。

松島十湖  まつしまじっこ(1849~1926)
俳人・報徳運動家・政治家。松島源左衛門の長男として豊田郡中善地村(現在の浜松市東区豊西町)に生まれる。
幼名吉太郎、吉兵衛、のち吉平と改称。
俳号大蕉庵十湖。

御神木雲立の楠

御神木
雲立の楠(くもたちのくす)